We are Tokyo!

mauo2009-11-03

FC東京v川崎フロンターレ多摩川クラシコ
今期リーグ戦で2度対戦し2試合とも東京が先制しながら川崎の逆転勝ち。そして迎えた今年3度目の対戦はナビスコカップ決勝、東京にとって雪辱を遂げるには絶好の舞台は国立。発売開始20分で即完売、諦めていたチケットは先週、明大前で奇跡的にゲットしての観戦。
結果は2‐0(得点:米本 平山)、FC東京がナビスコ2度目の優勝。
しゃー!

 2009年、夏

2009夏

旅行中も帰国後も度々会っているそういち君、ともさん、ゆーき君、あきこちゃん、高橋君にパキスタンペシャワールムスリムの女学生宅を一緒に訪ねた名古屋のえりちゃんを加え我が家でツルムラサキを食べたり、ゲン&さゆりちゃんの結婚パーティーが下高井戸で行われ会場のレストランにあるワインを全て飲み干したり、SF(movie)とSTAn(movie)によるイベント『モナリザオーバードライブVol.7』が沖縄からオストアンデル(movie)、沖縄タウンからDJ OSHOW(movie)をゲストに迎え行われ最高に楽しんだり、ゲン&さゆり結婚パーティー被害者の会慰労会なるものが代田橋のいつもの飲み屋で行われたり、サマソニ行ったり、高橋君と一緒にゆーき君あきこちゃん宅にお邪魔して高めのお肉を食べたり、大湧谷に行ったり、FC東京と川崎フロンターレ多摩川クラシコにて石川のゴールで先制しビールが進み酔っ払い、でも逆転負けしたり、奥多摩にてオルタナティブ新撰組の近藤さん、土方、沖田、ゲン、さゆり、光ちゃん、嫁ちゃん、大ちゃん、大友さん、辻くん、ケイト(movie)の13名でジャンベやフリスビーで遊んで2度、川に流され死ぬかと思ったり、富士山にオルタナティブ新撰組の土方、イシザワ、光ちゃん、嫁ちゃん、大ちゃん、モリヤさん、カマちゃんと一緒に登ってご来光を見ながらコーヒーを沸かしたり、エンドーの家で3歳のスナオを天井に向って放り投げる「高い高い」をしたり、SFやケイトのアルバムがリリースされたり、デンマークからアナスが遊びにきてかっこいいTシャツをいただいたり、近所の公園に咲き乱れる向日葵にいつも感動させられたり、下北沢の素敵な飲み屋"うさや"で毎度毎度出してもらっている初ガツオのマリネもいつの間にやら戻りガツオのマリネにかわり、戻ってきたカツオに秋の訪れを告げられました。自然の力や恵みを大いに感じた2009年の夏でした。

 フリーボックス

バックパッカーが泊まるような安宿では「FREE BOX」と呼ばれる箱が設置されている事が多い。それはただの空き箱で、中には各旅行者の不用になった物が入っている。旅行中に重くなった荷物を減らしたいからといった理由や、もう帰国するからといった理由で、捨てるにはもったいないし、もしかしたら誰かがもらってくれるかもしれないな、という希望もそこそこにその箱の中に残していく。内容はというと衣類、食料、ザックやスーツケース、寝袋、トイレットペーパー、ガスカートリッジ、自転車のパーツなどで欲しい者は全て早い者勝ちとなる。中でも一番多いのは衣類でTシャツ、パンツ、靴下、アウター、ブーツ、チベット僧が身にまとう衣など。特にこれから極寒の地へ行くときなんかはアウターやらセーターやらがあるとすごくありがたい。(それにしても使い古され虫に食われた穴のあきまくったTシャツを置いていくかねぇ)。また、ごく稀に誰が置いていくのか日清カップヌードルが入っていることがあり、それを見た瞬間すばやく確保してしまう。でも、うかつにレアアイテムを手を出してしまうとその代わりに何か他のものを失ってしまうのではないかと心配にもなる。実際その翌々日にパスポートを失った。

 うさや 

 トルコのイスタンブールで出会い、刻みながらもシリアのアレッポまで同じ。その後、エチオピアで朝一に行かないと売切れてしまうシュークリームを買いに坂道を下っていたところばったり再会したユーキ君とアキコちゃんと下北沢で飲んだ。エチオピアで再会した後、アジスアベバで一緒に夕食を食べようと約束していたのにマラリアの予防薬の副作用で頭痛、腹痛、関節痛があまりにひどくてベッドから起き上がれず結局約束は果たせなかった。下北沢のうさやで乾杯をした瞬間なんだかホッとした。


 メキシコシティで出会ったヤス君と下北沢のうさやにてビールでランチ。彼とはメキシコシティで同じ宿。とても気持ちのいい中庭でカンクンへ向かう彼を見送った。日本で会うのは久しぶり。数日後には欧州に向けて旅立つそうで帰国後は幡ヶ谷あたりでバーを作ってくれたらいいなぁ。海外旅行に持っていったらいいものは?と聞かれ、ポリエステル100%のボディタオルと答えた。


 トルコのイスタンブールで出会い、一緒にラダマン期間中のタダ飯を食べに行き、その後シリアとレバノンの国境とトリポリ、ヨルダンのアンマン、エジプトのカイロで会い、ピラミッドに一緒に行ったタカハシ君と、同じ時期に中東にいたというオオタニ君と、上述のユーキ君とアキコちゃんと代々木公園のタイフェスティバルに行ってきた。タイ飯は本当にうまい。タイで食べたらもっとうまいんだろう。タイに行ってみたい。でもインドのバラナシでガンジス川を眺めたい。


 クルグズスタンにあるカザフスタン大使館でビザ待ちをしていた時に出会ったトルクメニスタン人のモモからメールが来た。いつかトルクメニスタンに招待してくれるらしい。でも、日本にトルクメニスタン大使館ないし。あと、太陽の動きに合わせて回転する金のバシュ(前大統領)像はどこかに移動させられているだろうし。でもバシュが記した「ルーフマーナ(魂の書)」は手に入れたい。ちゃんと日本語版も出版されてるし、トルクメニスタンで。


 土曜の夜、オルタナティブ新撰組の近藤さんに電話をしたら下北沢のうさやで飲んでいたので参加。そしたら10年くらい前に同じバイト先で働いていたコマツさんがそこの飲み屋で飲んでいた。話してみると身振り手振りはそのままだけど以前にも増して輝いていてとてもツルっとしたゆで卵のような顔をしていた。その後、近藤さん達と店を出て代田橋で飲み、その後のことは覚えていない。


 天狗のレオくんと代沢一ぶっ飛んでる女の子ゆきえちゃんの結婚式二次回が四谷のブラジルレストランで行われ出席してきた。ポルトガル語のライブからスタートしその後立て続けに3バンドのライブ。新郎新婦も演者も観客もみな一体となったとても楽しい二次会だった。三次会は近くの居酒屋・天狗へ。しかし「本物はちょっと・・・」と断られたのか天狗の階下にある居酒屋へ。深夜まで盛り上がり終電は終わりタクシーで帰宅。たまたま乗ったタクシーがプリウスでドライバーに「この車、ハイブリッドカーですか?」と聞いたら家に着くまでずっとプリウスについて語っていた。


 僕にいろんな世界を教えてくれるナイスなガイ、パトリックと彼と最初に出会った東北沢のバーで飲む。出会った5年くらい前と比べると日本語は相当うまくなっていると思われるけれど相変わらず英語メインで話すパトリック。こちらも出来る限り英語で返すのだけど簡単な英語しか話せず、訳せない事は日本語で話す。パトリックも難しいことになると日本語だと理解できない。お互い様か。いやいやいや、日本語をサボってんじゃないよ!


 今日のお昼、ランチをしようと幡ヶ谷を歩いていたらパーマをかけた太った男の人が僕の右横を追い越していった。よく見ると出勤途中のオルタナティブ新撰組の近藤さんだった。白昼堂々と歩く彼の後姿と下あごらへんを見ていると不思議と元気になれる。

 ソマリア沖(その3)

エチオピアからソマリランドに入国。ボーダーから首都のハルゲイサまで一台のランクルに15、6人押し込まれて向かう。ソマリランドに舗装された道なんてなくずっと道なき道をガタガタと、そのうえアリクイや他の野生動物なんかが草原を駆けめぐりまるでサファリパークのよう。ソマリはムスリムの国なのでお祈りの時間になると皆、車を降りてメッカに向かってお祈り。ハルゲイサには夜の9時に到着。宿泊したオリエンタルホテルは相当クラスの高いホテル(広いレストランには噴水がある。だけど水シャワー)。宿代は42,000ソマリランドシリング(約7ドル)。ソマリランドの最高額紙幣は500シリングなので一泊につき84枚の紙幣を出さなければいけない。(2、3泊分をまとめて払う時はとても辛い)
ハルゲイサに着いてすぐ次のジブチの情報を入手。ジブチでは長居せずその次に行くエリトリアビザを取得したらすぐに立ち去る予定だった。だけど在ジブチエリトリア大使館でのビザ申請は毎週水曜日にしか受付けてくれないらしく、また、この時期12月はイスラムの祝日やクリスマス休暇(イスラムの国なのに)などが各水曜日と重なっており大使館は休館。年内のビザ取得は不可能となり、またこの12月からエリトリアへの陸路入国が禁止されたという事もわかりジブチエリトリアは断念。ソマリランドからイエメンに直接渡ることにして港町ベルベラへ。しかし、ソマリランドに長距離バスや鉄道などはなくISUZUのトラックの荷台にタンスや飛び跳ねるニワトリと一緒に積まれてサファリパークの中を8時間かけてベルベラへ向かった。

 ソマリア沖(その2)

エチオピア以降、ソマリランドジブチエリトリアと行き、その辺から船でアラビア半島のイエメンに渡ろうとしていた。まずはエチオピアからソマリランドへ行く為、エチオピア東部のディレダワに向かうのだけどエチオピアで長時間バスに乗る事はとても悲惨なので電車でディレダワへ向かうことに。だけどアジスアベバの鉄道駅に行ったら電車なんて無いと言う。丁度この日からストライキが始まり1週間以上は復旧しないとの事。仕方なくバスで向かう為、アジスアベバきっての貧民街マルカートで宿を取る。貧民街はバスターミナルのすぐ傍にあるので朝4:30に起きてバスターミナルの開門前に行けるのが便利(エチオピアではバスの座席は早い者勝ちで奪い合い。外国人で運がよければ優遇されることもある)。そしてバスを乗り継ぎディレダワ→ハラル→ジジカ→ワジャレ(エチオピア側国境近くの町)へ。ジジカ辺りはソマリ系の人々が住む地域でここに辿り着くまでに1時間おきに爆発物検査や山賊検査でバスをそのつど降ろさせられる。エチオピア国内は山賊に襲われる危険が高く、また運転が荒いのでバスが横転してダイナミックに事故死する可能性が高い。結構頻発するのかバスやトラックがひっくり返ったまま放置されていた。あとエリトリアとの戦争に使ったものなのか戦車も放置されている。

 ソマリア沖(その1)

昨年末から日本のニュースでしょっちゅう出てくるソマリア沖はアラビア半島アフリカの角とを結ぶ重要な海の道。ラクダもこの海を渡り、アラビア半島からアフリカ大陸にやってきた。(だからかソマリランドの港町ベルベラにはそこらじゅうで飼いラクダや野良ラクダがのそのそ歩いている。)
旅行中、この海路を船を使ってアフリカ大陸のジブチからアラビア半島のイエメンまで行こうと考えていた。といってもこんなところに豪華客船などが就航しているわけもなく羊や山羊を積んだ貨物船に便乗させてもらうもの。値段は交渉なので大体だけどイエメン発が30ドルほど、ジブチ発が50ドルほど。オフィスがあるわけでもなく船員と直接交渉することになる。食事付きで貨物の一部である羊や山羊をその場で屠殺し焼いて食べる。客室なんてもちろんない。所要時間は30時間程。しかしこの海、世界三大海賊出没地域。その上、結構な割合で勝手に沈没するらしい。
ジブチもイエメンも入国にはビザが必要でビザの申請には日本大使館で発行されたレター(日本国民であるという証明書)の添付が必要となる。エチオピアで両国のビザを取ろうと思っていたので両国分のレターをエチオピアにある日本大使館に取りに行くと、アンバサダーに「君、船で渡る気じゃないだろうね?」と瞬時に見破られる。しかし、当然飛行機ですよ。と返すと「この海は危ない。絶対飛行機で行ってね」と。すかさず「はい」と答えると、ちゃんと勧告はしたからね、といわんばかりに書面にサインをさせられた。