フームス屋にて

昨年末から今も続くイスラエル軍によるガザ侵攻。ここ最近だけでも数百人のパレスチナの人々やイスラエルの人々が亡くなっている。負傷し、障害を持ったまま生活をしていかなければならない人々が大勢いる。


イスラエルには数年前に日本で出会ったイスラエル人の友達ゾハがいる。ゾハが住むヤッフォにはパレスチナの人々も暮らし、ひよこ豆をペースト状にした料理フームスもこの町で彼等によって生まれた。ゾハと一緒にフームス発祥のお店に食べに行ったけれどファラフェルも含め本当においしかった。パレスチナの人が経営するお店だけどイスラエル人にも人気があり、人種に関係なく皆たのしそうに食事をしていた。
ヤッフォはテルアビブのすぐ傍にありイスラエルの北側に位置するので南部のガザからのロケット弾が届く事はない。それにパレスチナで使われている兵器なんてとても性能がいいとはいえないお粗末なものばかりで、大多数の攻撃手段はインティファーダの時などから変わらず投石なんだろう。そんな相手にイスラエルが使う兵器は実践実証され進化し続けてきた高性能な兵器ばかり。


後に徴兵を拒否した兵士が手記で書いていた言葉に、「僕は空軍パイロットとして、ガザにミサイルを落とすために出撃した。しかし、どこまで飛んでも、地上には戦車の一台もない。相手は戦車も戦闘機も何も持っていないことに気付いた時、自分は何をしているのかと呆然とした。」数年前には数人の空軍兵士が徴兵を拒否しイスラエル国内で問題になっていた。


19世紀、シオニスト会議にてユダヤ人国家を建設する事が提唱された。それは、国家を持たずバラバラに暮らしていたユダヤ人が各国で迫害を受けていたという背景がある。
当初、資金を提供する資本家階級のユダヤ人たちはアフリカ大陸にユダヤ人の国を建設しようとしたけれど大多数の労働者階級のユダヤ人たちの反対にあい、彼等が求める聖書の中にある"約束の地"パレスチナイスラエルが建設される事になったという。そもそも"カナンの地"とは現在のイスラエルよりも更に東に位置していたという説もある。


昨年、パレスチナ自治区内のビリン村で、パレスチナ武装勢力の侵入を防ぐという名目で建設されている分離壁に反対するデモに参加していた日本人が負傷する出来事が2件あった。このようなデモには日本人だけではなく世界各国の平和運動家が参加している。もちろんイスラエル人やパレスチナの人々も。
1月と11月にそれぞれ被害に遭った日本人二人とも片方の目にイスラエル兵の撃ったゴム弾や催涙弾が命中し、失明の恐れすらある大怪我をし3度4度の手術が必要だという。エルサレムで手術をした後に帰国した。
1月に被害に遭ったKさんとはパキスタンフンザで出会い、その後、イスタンブールで再会し何かと話していた。この事件があった時には現場にいた別で知り合った日本人から知らせのメールが届いた。

"日本人がパレスチナで被害にあった"だとか"○○人だから"ってことは関係ない。